校訓
昭和22年4月、学校教育法の施行により現行の小学校6年・中学校3年・高等学校3年のいわゆる6・3・3制がスタートしました。斐川東中学校の母体は、この時に誕生した
荘原村立荘原中学校と
出東村立出東中学校です。出東中学校の初代校長である須田正平校長は、出東中学校の草創期に関わられ、落日かかる旅伏山や蒼依山並みを眺めながら出東中学校の校歌の歌詞を考えておられました。作曲を誰に頼もうかと、当時島根大学に勤務しておられた森山俊雄先生に相談され橋本国彦先生を紹介されました。森山俊雄先生も島根県内の多くの学校の校歌を作曲しておられる偉大な先生ですが、橋本国彦先生も当時の一流の作曲家でした。
作詞 須田正平先生、作曲 橋本国彦先生で完成した出東中学校校歌が次の通りです。
その後、昭和25年4月に荘原・出東両中学校が、
荘原・出東二村組合立八雲中学校として統合しました。統合したと言っても5月から校舎の建築工事が始まるため旧出東中学校が北校舎、旧荘原中学校が南校舎としてのスタートです。10月に三年生が八雲中学校校舎に移り、三つの校舎で分かれて学校生活をおくらなければならない時期もありました。
八雲中学校の初代校長 金築勇逸校長は、ぜひ出東中学校校歌を譲り受けたいと懇願され、荘原との統合を意識して須田正平先生が校歌の二番・三番の歌詞を作り替えられましたが一番はそのままです。

昭和30年4月15日、
荘原村、出西村、伊波野村、直江村、久木村、出東村が統合して斐川村が誕生したため、
斐川村立八雲中学校と改称しました。
昭和40年4月15日、斐川村合併十周年にあたり、町制施行となり、斐川町が誕生したため、
斐川町立斐川東中学校と改称しました。この時に校歌の二番を八雲中学から東中学に変更しています。
平成23年10月1日より出雲市に編入になり、
出雲市立斐川東中学校となりました。
生徒数が最も多かったのは昭和36年で、全校生徒1019名が学んでいました。
校区の概要
出雲市斐川町は、島根県の東部に位置する町であり、斐伊川が南から西、北方にかけて町を取り囲むように流れ、宍道湖に注いでいる。 北部は、斐伊川が幾度か流れを変えながら形成した肥沃で広大な沖積平野であり、穀倉地帯となっている。南部は丘陵地帯であり、神話や史跡が多い。
町の産業は、伝統産業と進出した先端技術産業、米作、麦作、たまねぎ、キャベツ、いちご、チューリップなどの特産振興が図られたれた農業を基幹産業としている。
築地松のあるおだやかな生活環境と国の史跡の荒神谷遺跡等もあり、産業と文化の調和が図られている地域である。また、校区には、島根県の空の玄関である出雲縁結び空港や日本三美人湯の湯の川温泉郷がある。
学校沿革
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